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2015年10月3日土曜日

[特撮-07] ヒーローと叙情性/追悼・長石監督 その1


僕の好きな監督に長石多可男という方がいらっしゃいます。


…いや、いらっしゃいました。
残念ながら既に鬼籍に入られた方です。


第1作目の「仮面ライダー」(1971) に助監督として参加して以降、70年代・80年代・90年代・00年代と、2013年に亡くなられるまで数多くの特撮番組に参加されてきました。



もちろんヒーロー番組だけではなく、刑事ドラマや「世にも奇妙な物語」他、幅広く関わられているので、多くの人がそれと意識せず長石監督の画に触れてきたはずです。


決して派手な演出や最先端の演出をする方では無いし、むしろ古臭い叙情的、感傷的な演出をされる方です。しかしその古臭さはけっして時代遅れという意味ではなく時代に関係なく良いものは良い』と思わせてくれるエヴァーグリーンな監督でした。

それはご活躍された40年間、何度も繰り返された監督の世代交代の中、病床に臥せる直前まで現役だったことが証明しています。


僕が長石監督の名前を知ったのは1970年代後半でしたが、強く意識し始めた80年代中頃には、既にその画をファンの間で『長石カット』と呼ぶようになっていました。ちょっと当時を思い出してみると、こんな感じでしょうか。

・地面すれすれのアングルで移動する対象物を追う。
・草花や自然物を頻繁にインサートする。
・人物の表情を通常のアップではなく、あえて遠方から望遠レンズで狙う。





そもそも僕がこのブログで特撮のことを書きたいと思った動機の1つは、今更ではありますが “長石監督への追悼の意を表したい というのがあったのです。

というわけで今回は、長石監督エントリーの入り口として、僕が印象に残っているシーンやカットを、近作を中心にほんの一部ですが御紹介します。






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劇場用作品「仮面ライダー THE FIRST」(2005) より、黄川田将也演じる主人公・本郷猛の初登場シーン。

OP直後、スクリーンいっぱいに広がるトンネルの様な満開の桜並木を優雅にバイクを走らせて現れる。
これには意表を突かれ、思わず見惚れてしまった。




同じく「仮面ライダー THE FIRST」より。
ストーリー上、もう一組の主役である若い男女が、やっと見えた希望の光に釣られ道を踏み外していく、未来を暗示させるシーン。



DVDなどで見るとありがちな演出にも見えるが、映画館の大スクリーンで見たときは、スクリーンと映画館の暗闇との境目がなくなり、トンネルが登場人物だけでなく観客まで飲み込もうとしているような感覚に襲われた。またこのシーンのBGMは最後まで穏やかで美しいピアノ曲が流れていたのも印象的。





「仮面ライダーアギト」(2001) 第4話冒頭
主人公の正体(アギト)を目撃し、思わず逃げ出してしまうヒロイン。それを寂しげな表情で見つめる主人公のアップが交互に繰り返されたあと、最後は燃えるような夕焼けのカット。ここでOPスタート。






「仮面ライダー555」(2003)
× ×が× ×して× ×となるシーン(超弩級のネタバレのため自粛)






「仮面ライダーカブト」(2006) 第38話
暴走したハイパーゼクターによって、瞬間的に異世界に飛ばされた主人公が見た白昼夢のような光景。異様な世界の中、手を繋いだ人影が丘をスローモーションで駆け登っていく。
異様ではあるが、不思議と恐ろしくはない。美しくすらある。
しかし美しくはあっても、やはり異様である。



ちなみに第37話のラストで流れた当回の予告編では、一瞬だが加工前の元映像が流れた。比較してみると面白い。






「天装戦隊ゴセイジャー」(2010) OP

タイトルコールと共に天空より飛び降りて来る主人公たち(上)そしてOPのラストカット(下)
OP映像で『ゴセイジャー = "雲いっぱいの" 青空』というキャラクターイメージを一気に確立させてしまった。







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あらためて並べて見ると、僕が長石監督を好きだった要素のひとつとして『色味による表現』があったことを再認識します。これは次回以降も関連してくる要素です。

さて『デビューアルバムにはアーティストの全てが詰まっている』という言葉があります。
長石監督エントリー。次は監督が初メイン監督を務められた1980年代中頃をクローズアップしていこうと思います。



そろそろこのブログも本格スタートが目前に近づいているため、少々ゴタゴタすることになります。
しばらく音楽関係のエントリーが続きますが、長石監督エントリーもどうぞお楽しみに。


んじゃ、また。