お好きな方へどうぞ。

2015年9月26日土曜日

[特撮-06] 名!迷? / リアリティーってなんだろね??

さて、世の中には名台詞とともに迷台詞と呼ばれるものがある。
今回は「仮面ライダーストロンガー」(1975)を題材に少し考えてみる。

仮面ライダーストロンガー・城茂は、相棒のタックル・岬ユリ子とともに、親友の仇ブラックサタンを求めて旅をする。


城茂は豪放磊落な無頼漢。口も結構悪い
これに対し相棒、岬ユリ子もなかなか威勢がよい。茂を呼び捨てにし、自分の実力も顧みず敵に立ち向かい、手柄をあげようとする。

会話だけ聞いているとユリ子はヒロインと言うよりは、ライバル、時にはダブル主人公にすら見える。
この2人の軽妙な会話は、今見てもなかなか楽しい。







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しかし、さらに楽しいのは名優・浜田晃の怪演が光る 敵の大幹部・謎の紳士タイタン。そして14話から登場する新幹部・ジェネラルシャドウとの丁々発止の応酬だ。
茂と彼らの洒脱なやりとりは、この番組特有の魅力である。

あからさまに怪しい謎の紳士(上)とその正体タイタン。特技は嫌味
不気味な容姿に関わらず紳士的なジェネラルシャドウ。特技は嫌味


また、ジェネラルシャドウは『仮面ライダー』の枠にとどまらず、この手の番組としては非常に珍しい "雇われ幹部" である。
後から "その正体は別組織のスパイでした" というのはままあるが、最初から「自分は雇われているだけ」と公言しているのは、かなり珍しい。

なので、生え抜きのタイタンと仲が良いわけがない

この2人が揃った時のピリピリするような嫌味の応酬はもはや名人芸の域で、自分はこれを『陰険夫婦漫才』と呼んでいる。
後年の「仮面ライダーアギト」(2001)における警視庁・小沢澄子と北條透のやりとりはこれを彷彿させた。




『仮面ライダーシリーズ』と一括りにされる時の「ストロンガー」は、番組終盤、怒涛の展開で見せ場の多いデルザー軍団編が顧みられることが多いが、個人的に「ストロンガー」の魅力は "何気ない日常会話のやりとり" にあると思うので、是非つまみ食いせずブラックサタン編から通して見てもらいたい。






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さて「ストロンガー」といえば、今でも語り草になっているセリフがある。

第7話「ライダー大逆転」において、ストロンガーが敵の怪人(この番組では奇械人=キッカイジン)に言い放ったセリフだ。
どうもネットなどでの採りあげられ方を見ていると、これを迷台詞として認識されている方も多いようなので、今回はそこに異議を唱えたい。



状況を説明する

とあるドライブインがブラックサタンに占拠されていることを察知した茂とユリ子。だが茂は敵・奇械人ワニーダの罠に落ち「城茂用にわざわざ発明した」と称するガスを吸わされ捕われてしまう。


一方、そのことを知らないユリ子は茂を出し抜こうと婦人警官(番組中での呼称まま)に変装しドライブインに潜入するものの正体を見破られて、あっという間に特殊な檻に閉じ込められ、タックルへの変身も封じられてしまう。

そこに現れる茂。

だが茂は先程のガスで操られており、ユリ子に襲いかかる!
ユリ子絶体絶命。


と思った瞬間、突然ニカっと笑う茂。ユリ子に向かって一言。
「でしゃばりのバツだ☆」


茂は操られてなど、いなかったのだ。呆気にとられるユリ子。


その状況に計画が失敗したと悟ったワニーダは逃走するが、その前にストロンガーが現れる。



ここで問題のセリフ

ワニーダ  「なっ、何故だ!何故、あのガスが効かなかった?!」
ストロンガー「そんなこと俺が知るか!」



名台詞か迷台詞かはともかく、確かに凄いセリフではある。
ワニーダの問いかけは全視聴者の問いかけでもあるはずだが、それを何の説明もせず一言で切って捨ててしまった。







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で、だ。

先ほど書いたように世間ではこれを迷台詞と捉えるむきもあるようだが、自分はこれぞ名台詞だと思うのだ。


理由はふたつ。

ひとつはそもそもこの状況で、専門家でもない人間が "なぜそのガスが自分の体に影響を及ぼさなかったか” を理解できているだろうか。城茂は一介の大学生である。

仮に100歩譲ってそれを理解していたとしても、まさに今から闘おうとする敵に問われて、素直にそれを説明するだろうか?

この場面を見た時、自分はこれぞリアリティーだ!と思ったものである。


もうひとつ。

番組スタート時期早々のこの台詞には、なにより "城茂というキャラクター” が端的に表現されている。さらに言えばこの番組が ”理ではなく勢いを重視する” という宣言ともとれる。
つまり「仮面ライダーストロンガー」の魅力がぎっしり詰まっていると思うのだ。







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とはいえ、もちろんこんな台詞『飛び道具』であることは確かである。
毎回、これで済まされては視聴者の方もたまらない。

だから、これだけは皆さんと同じ意見だ。
『1回だけだからな!こんな台詞許されるの、1回だけだからなっ!!』



んじゃ、また。







2015年9月19日土曜日

re; wind 〜 夏の引き金 (demo)

さて新曲です。
それは8月中旬のことでした。

もともとはこの時期に曲を発表する予定はなかったのですが「せっかくの夏だからそれっぽい曲も作っておこうかな」などと思いたったわけです。

…が、しかしその矢先、8月も半ばにして肝心の夏が閉店ガラガラ!?強制終了!!

おまけに自分が少々めんどくさい病気にかかりまして、パソコンのモニターを見るのも困難になり、すっかり気持ちは消化試合になっていました。

実際、ここからは季節が梅雨に逆戻りしたかのように『雨・雨・台風・雨・豪雨』といった具合で、9月も2週目に入ると一周回って次第に怒りが湧き起こってきました。


おい、今年の夏!お前、ほんとにやる気あんのか?!
こっちもガキの使いでやってるじゃないんだよっ!
金返せ、このやろう!!


というわけで自分の中で一旦終了していた夏曲への想いが、地獄の釜底からよみがえってきたわけです。

ここに今年の夏に対する厳重な抗議の印として、この曲を捧げます。





「re; wind 〜 夏の引き金」

タイトルはダブル・ニーミングを狙ってこんな表記にしましたが、読み方はあくまでリワインド(巻き戻し)です。
なんでこういうタイトルにしたか、何にリワインドするのかは、すでに説明の通り(怒)

曲自体のコンセプトとは別に、作り始める際に自分の中でのテーマとしてBメロの短い曲というのがありました。
これは単にその時の気分でしかないのですが、意外とこういう何気ないとっかかりって、完成までの道標になってくれたりしますので、バカにできません。

それと自分の曲としては比較的機械の音が多めなのですが、出来上がってみれば案外バンドでも演奏しやすい曲になった気がします。

次ぐらいから、少しずつ色の濃い曲になって行く予定ですが、その前に爽やかな曲を出せてよかったです。


「re; wind 〜 夏の引き金 (demo)」
written,composed,programed by ポコ太



なお突貫工事で作ったため自制が全く働かず、冒頭から盛大にチャカポコしていることをお詫び申し上げます。



んじゃ、また。







2015年9月12日土曜日

Boy Meets 鍵盤 ~ あの頃君は(相対的に)若かった。

「1年に1回録音してみては、ため息をつきながら消去している」と書いた際、そういえば今年はまだやってないなと思い、やってみました。





自分で言うのもなんですが、途中までは弾けていると思うのです。
だがしかし、ある時点から音符を追っているだけになってしまっているようで、なんとも恥ずかしい限り。

まあ、こうやって少年は成長していくのですよ。見てろよ、200年後!…って、今まで何回思ったんだ、俺…。



ちょうど手元に作曲者・和泉宏隆本人が、この曲の発表当時(1986年)に出したコメントがあるので書いておきます。

 ・気をつけないと、二流のフランス映画みたい(な雰囲気)になってしまう。
 ・情緒に流されず、サラっと演奏すること。

m(_ _)m はい、おっしゃる通りでございます。もうほんと穴があったら覗きたいですね。
見てろよ、48000年後!(← 大幅に延びてる)







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で、今回は僕が鍵盤に触れるようになったきっかけを、ちょっと世代論風に書いてみます。



僕が楽器を触り始めた(注)1990年前後に音楽を始めた方って、物凄くどっちつかずというか『中途半端な世代』ではないかと思います。
  (注)もちろん小学校で縦笛とか木琴・鉄琴はやりましたよ


というのも、僕がもともと音楽に手を伸ばしたきっかけは曲が作りたいということでした。
この時、アコースティックギターに手を伸ばしていれば、それはそれで迷いもなく一本道で進めたと思います。

しかし、自分はメロディーや歌詞よりも『ガチャガチャとした音』自体を作りたいと思っていたので、手を伸ばしたのはシーケンサーでした。
ちなみにこれ、話を端折っているわけではなく、本当に一番最初にまずシーケンサーを買いました。



え、何が言いたいかって?



当時のシーケンサーって、もう純粋にシーケンサーなんですよ。
つまりいくらデーターを打ち込んでも、それ自体からは一切音は出ないという…。

もちろん僕はそれを分かっていながら、まず最初にシーケンサーを購入しました。

それから最初の音源を買うまでは(1ヵ月半位かな?)ただ小さい2段組の液晶画面を見ながら淡々とデーターを打ち込んでいるだけ(笑)
もちろん音は全く鳴りません。
スタートボタンを押すと、ただ小節番号がカチカチ動くだけ(笑)


でも、果てしなく幸せでした。
なんせ想像の中で鳴っている音は無限大でしたからね(遠い目)

それが初めて音源を買って、繋いで鳴らしてみたときの絶望感といったら…。







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話がそれましたが、この後は入力用の鍵盤や各種音源をそれぞれ揃え始めるわけです。



が、しかし、ここで全人類お馴染みの『現実の壁』というのがやってきます!



自分の場合、まず前提として楽器の素養があるわけではない。
さらに、テクノや打ち込みPopsをやりたいわけではない。
やりたいジャンルは一般的なニューミュージックとか、あわよくばシティーポップスみたいなものが作りたかったわけです。


つまり必要なのは生楽器のシミュレーション


当時はやっと生楽器の模倣に適したPCM音源のシンセサイザーが出回り始めた頃でした。

しかしまだまだ『いかにも』という音で、本物の楽器のような自然なシミュレーションとなると、やっぱり高額なサンプラー(と高額なライブラリー)を買わなくてはいけない。
さらにシミュレーションするためには、それぞれの楽器の奏法を知らなくてはならない。

もちろん、打ち込みの技術もいる。
たった2段の小さな液晶画面では、はじめは和音を打ち込むのも一苦労でした。




となると、ぶっちゃけて言えば
『これって結局、手で弾いた方が早いんじゃないの?』
というジレンマが生まれるわけです。






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自分がやりたいのは演奏ではなくて、あくまで作曲のはずなのに楽器の練習を始めるという、例えるなら「今晩はカレーが食いたいなぁ」と思っているだけなのに、庭を耕してジャガイモを育てはじめたみたいな果てしない回り道感があったわけですね。

もちろん元々ピアノ習っていたとか、そういう素養があればこんな迷いはないわけですが…。

自分はただ、
とにかく曲が作りたい
 ↓
シーケンサーってのを買えば楽器が弾けなくても自分一人で曲が作れるらしい 
 ↓
『現実の巨大な壁』
 ↓
大人の嘘つき!嘘つき!(←自分も既に大人だった件)


というわけで、話が違うじゃん!的に渋々鍵盤を弾き始めたわけです。
でも元々そんなつもりはなかったので、何から手をつけていいのか分からない。



そこで…
とりあえず「LEAVE ME ALONE」でも弾いてみっか。← コレである



ここにすべてのスクェアファンと音楽ファンに謝罪いたします。
なめきった態度ですみませんでした。いや、ほんと。






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で、世代論に戻るのですが、僕のように生楽器のシミュレーションをしようとする場合、

もし5年早かったら、廉価(とはいえ20~30万しましたが)なPCM音源シンセなんて出回ってないし『曲を作る』ということと『楽器を弾く』という事は一体化していたため、特に何の疑問を持つこともなく受け入れていたはずです。

また、もし5年遅かったら、いよいよパソコンを使ったオーディオレコーディングや、サンプリングCDなどが一般化する時代に入り、本当に楽器が弾けなくてもそれなりのものが作れるようになっていました。


冒頭で述べた『どっちつかず』と言うのはこういうことです。


ただ少なくとも5年早かったパターンだと、そもそも自分が楽器を弾くなんて考えられなかったわけで、音楽に手を出そうなんて思いもしなかったでしょうから、そういう意味では、完全にだまし討ちにあったような気持ちではありますが、90年頃のテクノロジーには感謝しています。






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さて次回はポコ太、怒りの新曲?!
『てめーだけは絶対に許さない!!』

ポコ太に何があったのか?
次回、注目であります。



んじゃ、また。







2015年9月4日金曜日

スクェアな日々 〜 たった4小節の冴えたやり方

(ここでは『THE SQUARE』及び改名後の『T-SQUARE』共に『スクェア』と表記します)




僕はとにかくスクェアっ子でありました。


特にリーダー・安藤まさひろの書く曲はどれも『歌のない歌モノ』と言っていいほどPOPで、結局自分は(歌の有る無しにかかわらず)歌モノが好きなんだなと思います。

これに関しては "安藤さんっぽい曲” というイメージで作られた「OMENS OF LOVE」(作曲:和泉宏隆)を聴くと、メンバー間でも共通した認識だったのではないでしょうか。

反面、スクェアに批判的な人から “歌謡フュージョン” と揶揄されるのも分かる気はします。

当時は同じくジャパン・フュージョンである、高中正義・鳥山雄二・小林泉美なども好きでよく聴きましたが、スクェアにはそれらとは系統というかニュアンスの違いを感じていました。
(ここで言うスクェアはバンド形式が確立した1982年以降のものです)



余談ですが、80年代に自分が注目していたプレイヤー&プロデューサーの、青山純・久米大作・鷺巣詩郎が全員、過去にスクェアのメンバー経験があったことを後追いで知り、ひょっとして自分の音楽的趣向はとても狭いのではと不安になったこともありました。



当時、髪を下ろした伊東たけしに衝撃を受け、おもわず買ってしまった Keyboard Magazine 1987年4月号の表紙写真。








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初めてスクェアを知ったのは伊東たけしの出演していたサントリーのCMでした。

そこで流れていた「TRAVELERS」が気にいってスクェアを聴くようになったわけですが、ドはまりしたのはアルバム「S・P・O・R・T・S」(1986)収録の「TAKARAJIMA」と「LEAVE ME ALONE」の2曲です。

僕は楽器を始めたのが遅く20歳を過ぎてからでしたが、一番初めに弾こうとしたのが「LEAVE ME ALONE」のピアノソロでした。ドレミファすら怪しい人間が弾けるわけありませんよね (^_^)

しかしそのくらい自分の中でキーボード(アコースティックピアノ) = 和泉宏隆と言う図式が確立していたのは確かです。

特にきちっと構成されたソロが好きな自分にとって、「TAKARAJIMA」のピアノソロは『16小節の作曲』と言っていいほど完璧な構築美でした。






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ただ今回は和泉宏隆の話ではなく、リーダー・安藤まさひろの話です。

その作曲センスやギタープレイ(バッキングからソロまで)については、いまさら語るまでもありませんが、ここでは初めて聴いた時から僕が胸を鷲掴みにされてしまった "たった4小節" について。







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曲としては先に挙げた2曲をよく聴きましたが、アルバムとしてはその翌年発売された大ヒットアルバム「Truth」(1987)のB面を何度も何度も聴きました。
特に最初の2曲「Breeze and you」「Giant side steps」のために、何度ダビングしたテープを伸ばしてしまったかわかりません。


今回はその「Giant side steps」(作曲:伊東たけし)の話なのですが、自分にとって特に印象深いのはイントロ最後の4小節
ここに、この後始まるメインメロディーを迎えに行くように挿入される、安藤まさひろのギターフレーズ。


これが絶品なのです。


自分の場合、曲の好き嫌いはイントロが始まった時点でほぼ決まってしまうのですが、この曲ではイントロから流れるメインリフで既に虜になっていたところへ、さらに現れたこのギターフレーズでダメ押し!でした。






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今回のようなエントリーで肝心の音が無いのは致命的だとは思うのですが、著作権を考えると貼るわけにもいかず、また iTunes の試聴はイントロの終わりから始まっていたので、仕方なく譜面に起こしてみました。


PCから御覧の方ならこちらの Amazon 商品ページから該当部分が試聴出来ますので、ぜひ確認してみてください。
7曲目「ジャイアント・サイド・ステップス」00:29~00:37のギターフレーズです。






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このギターフレーズはオブリガードのような他者を補完したり装飾するものではなく、独立したソロフレーズです。

冒頭の賑やかな8小節の後、一旦落ち着いた雰囲気となる中このギターフレーズが現れ、主題(メインメロディー)への期待感をいやがおうにも高めます。
特にこの4小節中、3小節目でオクターブ上にフレーズが駆け上がるところは、いつ聴いても気持ちよく感じます。

この4小節内での構成力も素晴らしいのですが、しかし曲全体を見た場合、あくまでこれは主役登場を盛り上げるためのお囃子にすぎないわけです。



で、ここが重要なのですが、このような脇役フレーズなら普通は少し引いた無難なフレーズになりがちです。しかし譜面を見てもらえば分かるように、このフレーズはこのままギターソロに入ってもおかしくないような結構派手なフレーズなのです。

これ以上やると、後に続くメインメロディーの邪魔をしてしまう。
これ以上やると、リラックスした曲の雰囲気を壊してしまう。

そのギリギリのところを攻めているようで、しかしその結果はむしろ軽い緊張感を与えることによって、より通常部分の穏やかさを引き立たせている。



その意味では曲後半に挿入される則竹裕之のドラムソロも同じですが、やはり安藤まさひろのギターの方がより手慣れた感じがあり、さすがと思わせます。

もっともこの時点で安藤まさひろにとっては既に13枚目(!)のアルバムだったわけですが。







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僕が安藤まさひろに惹かれるのは、このようにプレイヤーとしての卓越したテクニックで攻めの姿勢を保ちながらも、あくまで楽曲優先で、自分のプレイはそれを構成する一要素とする高いレベルのバランス感覚です。

僕自身はフュージョンをやるわけでもないし、ここではあくまで歌モノPopsを作っていこうと思っているのですが、このバランス感覚には非常に憧れるし、いつかは今回取り上げた4小節のような最高の引き立て役が産み出せたら幸せだなと常々思っています。




なんだか4小節の話ばっかりしてますけど、もちろん曲中のギターソロやエンディングのウィンドシンセのソロも大好きですよ。一人でこんなことやって悦に入ってるくらいですからね!



んじゃ、また。